セイタカハナズトガイの交接 Velutina conica
冬の東北の海。
芳醇の海という言葉がまさに似つかわしい、命の海。
運悪く、連日の強風のためウネリと濁りが残った志津川の海は、真っ暗で緑色をした冷たい海だった。
水温7度という状況で、しかも前を泳ぐダイバーのフィンすら見えない透視度で、いったい生物が発見できるのだろうかという不安感。
フードから露出している頬とあごの部分は、既に冷水にさらされピリッと緊張したまで痛みすらなく、感覚が麻痺してくる。
不思議と呼吸は穏やかに保つことができ、自分はきっと冷たい海に向いている体なのかなと考えた。
宮城県南三陸町のダイビングサービスといえば、唯一無二で日本全国に名を轟かせる「グラントスカルピン」である。彼の独特のガイディングスタイルは、お客を迎えるサービス精神の塊から生み出てきたものだと思える。
まず一般ダイバーがこの志津川の海に始めて潜ったところで、何も発見することはできないだろう。
毎週のようにミリ単位のウミウシを探している私でさえも、一人で潜ったら、まず間違いなく撃沈。
良くて岩の隙間にいる小さなヤドカリを発見することができるくらいであろうか。
そう、この志津川で生きる生物たちは、伊豆やその他の地域の生物とはちょっと違った場所にいる。
オーバーハングした岩の下側、しかもフジツボの貝殻の中だったり、岩と岩の隙間・・・しかもある特定の水深の一帯だけであったり、蔽い茂る海草の根元や茎の部分であったり・・・。
グラントスカルピンを主催する佐藤長明氏は、志津川の海を調査し続けている。
もはやそのガイディングの凄さは、他の追随を許すことないのに調査活動と生物の研究、ダイビング機材の研究に明け暮れているのだ。
この日、我々がクチバシカジカの抱卵に釘付けになっている間にも、次々と被写体を発見する。
数分前に自分自身で探してなにもいないなぁと通り過ぎた場所でさえ、見事に大物を発見するのである。
セイタカハナズトガイという貝の名前すら知らなかった。
暗く冷たく濁った海の底で、美しく鮮烈に光り輝く命の粒を見たようだった。
セイタカハナズトガイの交接 Velutina conica
1cmほどの巻貝の一種であるという。この写真は透明な巻貝の雰囲気が出せるように、若干、トーンを押さえ気味にしているけれど、実際に海の底で岩の隙間でこの巻貝を見たときには、まさに生きる宝石を見つけたかのような感動を覚えた。
怪しく艶かしく光る腹足を絡ませあう交接シーンは、生きる力のまぶしさを見るようなエネルギーを感じ、冷たいはずの海がなぜかほのかにあたたかく感じられるほどの説得力がある。
彼らの世界観というものはいったいどんな世界なのだろう。
眼でものを見て判断することがない彼らは、僅かな臭いで(実際には臭いをかぐというより本能で体感すると言うべきか・・・)世界を感じている。
人間には到底真似ができない、僅かな変化を感じ取り、自分のパートナーをこの広い海から見つけ出す能力を持っている。
そのパートナーとの出会い、その事そのものが奇跡といっても過言ではない。
だからそんな奇跡の中で命の絆を紡いでいく彼らは、愛情というものが存在しない。意味がないのだ。
なぜなら、生きていることそのものが「アガペー」 αγάπη agápē であるからなのだから。
海の底で光る、この宝石を眺めているうちに、真理のひとつを悟ったような気持ちになった。
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