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大瀬崎ダイビング

 

 

 

Phyllognathia simplex サガミツノメエビ

 

 

 

サガミツノエビという極小のエビ。

スナイソギンチャクの周りにいるというのだが、なんだかさっぱり分からない。

良く見ても???

砂の塊にしか見えない。

 

 

Phyllognathia simplex サガミツノメエビ

 

 

ようやく、こんな形をしているのか?と、頭の中で理解できて撮影ができました。

自分は眼がよくないので、マクロ撮影は勘とイメージだけが頼りです;;;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Calotomus japonicus ブダイ

 

 

 

 

 

 

不格好なタイという意味で『醜鯛』または『不鯛』と書くのだそうだ。

なんとまあ、失礼な・・・。

誰だって不細工だと言われたら怒るだろうに、魚の名前には無頓着。

人間って身勝手ですねぇ。

 

とは言っても、この顔・・・幼い子供が見たら泣き出しますね。

きっと。

僕は、好きですけどね・・・この、何かを語り出しそうな顔。

じっと見ると、なかなか味のある顔つきですよ。

 

 

 

 

 

 

 

コソデウミウシ Polycera abei

 

 

とても小さなコソデウミウシです。

この時期は、まだ人の目にようやく見れるような小さな個体が多いようです。

2~3週間するとすぐに大きくなることでしょう。

 

 

 

 

 

 

ダイオウタテジマウミウシ Armina major

 

 

ダイオウタテジマウミウシのまだ小さな個体です。

1cmほどの個体ですが、ダイオウの名前にふさわしい風格があります。

もう少しシーズンが進むと10cmほどに成長することでしょう。

大きなダイオウタテジマウミウシを見るのがちょっと楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

ジョオウミノウミウシ Eubranchopsis virginalis

 

 

 ジョオウミノウミウシとしたが、もしかしたらホシアカリミノウミウシ(Eubranchopsis Sp.)かもしれない。同じ種族であるので似たもの同士。僕にはとても見分けが付かない。ジョオウミノウミウシのジョオウとは、女王を指すのであろうか。細い突起を持つ個体がいるので、恐らくその細い突起が、女王のティアラに似ているからなのだろうか。

 

ホシアカリという名前にはとても関心を持った。

アルノルト・シェーンベルク (Arnold Schönberg)という作曲家がいる。十二音技法(Dodecaphonic,Zwölftonmusik)と呼ばれる調性から脱却した無調性音楽のさきがけを作った革命的な音楽家である。もともとは数学者であったシェーンベルクは、無調性音楽の中に調性よりも強力な依存性、関連性を見出そうと、あらゆる古典音楽の様式、形式、リズムを踏襲し新しい分野の音楽理論を打ち立てた作曲家である。私も若かりし頃に大変影響を受けた作曲家で、恥ずかしながらも、自ら「十二音技法の為の練習曲」というオーケストラ曲を作曲した経験がある。青春時代の思い出の作曲家なのである。

 

ホシアカリウミウシと何が関係するのか・・・。

実は、シェーンベルクがまだ、十二音技法を考案する前、ブラームスやワーグナーといった近代古典音楽に傾倒していた頃、浄夜 (じょうや)(Verklärte Nacht Op. 4)という曲を作曲している。この曲は、もしご自身がロマンチストであると思われる方は是非CDをお買いになり、聴いてみて欲しい。なんという美しさ、なんという淫靡、なんという清らかさという、カオスとニュクスの両面を描いた名曲である。実はこの曲には詩がある。リヒャルト・デーメルという人が詠った詩である。「ホシアカリ」という言葉の印象は、この詩に描かれている夜を思い出すのである。

 

Verklärte Nacht op. 4
Richard Dehmel


Zwei Menschen gehn durch kahlen, kalten Hain;
der Mond läuft mit, sie schaun hinein.
Der Mond läuft über hohe Eichen;
kein Wölkchen trübt das Himmelslicht,
in das die schwarzen Zacken reichen.
Die Stimme eines Weibes spricht:

Ich trag ein Kind, und nit von Dir,
ich geh in Sünde neben Dir.
Ich hab mich schwer an mir vergangen.
Ich glaubte nicht mehr an ein Glück
und hatte doch ein schwer Verlangen
nach Lebensinhalt, nach Mutterglück
und Pflicht; da hab ich mich erfrecht,
da ließ ich schaudernd mein Geschlecht
von einem fremden Mann umfangen,
und hab mich noch dafür gesegnet.
Nun hat das Leben sich gerächt:
nun bin ich Dir, o Dir, begegnet.

Sie geht mit ungelenkem Schritt.
Sie schaut empor; der Mond läuft mit.
Ihr dunkler Blick ertrinkt in Licht.
Die Stimme eines Mannes spricht:

Das Kind, das Du empfangen hast,
sei Deiner Seele keine Last,
o sieh, wie klar das Weltall schimmert!
Es ist ein Glanz um alles her;
Du treibst mit mir auf kaltem Meer,
doch eine eigne Wärme flimmert
von Dir in mich, von mir in Dich.
Die wird das fremde Kind verklären,
Du wirst es mir, von mir gebären;
Du hast den Glanz in mich gebracht,
Du hast mich selbst zum Kind gemacht.

Er faßt sie um die starken Hüften.
Ihr Atem küßt sich in den Lüften.
Zwei Menschen gehn durch hohe, helle Nacht.

 

 

浄夜 (リヒャルト・デーメル)

二人は冬の森を歩いている
月は二人を追い、二人は互いを見つめ合う
月は、高い樫の木の上に昇る
月夜をさえぎる雲などはない
夜空に黒い木々が刺々しく浮かぶ
女の声がした

お腹の子は、あなたの子ではありません
あなたにも迷惑を与えようとしてしまう
私は引き返せない過ちを犯してしまった
幸福などはありえない
それでも生きがいを見つけ、母親の喜びや務めを
味わいたかった

身の程知らずにも
知らない男と一夜を共にした
今考えれば心が凍る思いがする
私は身ごもり、報いを受けなければならない
それなのに、貴方に、貴方に出会ったのだ

女はゆっくりと歩く
ふと見上げれば月が共についてくる
暗い眼差しは、月明かりにのみこまれ
そして男の声がした


お腹の子どもを
心の重荷にしてはいけない
今夜は星空がこんなに輝いている
何もかも全てを包みこむ輝きだ
私と君は冷たい海のなかにいるのだ
しかし僕は君の温もりを感じている
君は僕の温もりを感じているのだろう
この温もりがお腹の子を祝福するのだ
この子は僕の子として産んでほしい
君は僕の心を照らしたのだ
僕自身を子どもにしたのだ

男は両手で女を抱きしめる
女の吐息が光り輝く
二人は浄められた星明かりの夜を進む

 

 

 

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